泉屋について

Izumiya History泉屋ヒストリー

「子供に栄養のある食べ物を…」。 日本でクッキーが販売されるきっかけは、そんな母親の思いでした…

宣教師夫婦との出会い

宣教師夫婦との出会い画像

明治から大正にかけて、大阪の船場に「泉屋」という鉄や機械を扱う貿易商がありました。
三代目の泉伊助は、大阪外語大学で英語を学んだあとも研究を続ける学者肌で、なおかつ敬虔なクリスチャンでもありました。また夫人の園子も同様にクリスチャンで、幼少からオルガンやバイオリンの演奏に親しむというハイカラな家庭の出身でした。夫妻は芦屋で幸せな家庭を築いていました。
その後子供にも恵まれた夫妻は、子供達の健康のために、豊かな自然の中で暮らすことを望み、大正3年春、温暖な和歌山県(現在の下津町)に移り住みました。
敬虔なクリスチャンだった夫妻は転地先でも欠かさず教会に通い、そしてこの地でアメリカ人宣教師、J・H・ロイド氏とその夫人に出会うことになったのです。
園子は、ロイド夫人が子供達のために「クッキー」なるお菓子を自ら焼いて与えていることを知り、それが栄養満点でとても美味しい食べ物であることを聞くと、自分も息子達に作ろうと思い立ち、ロイド夫人の開く日曜学校の教室でクッキー作りを学び始めたのです。

夫婦で育てたクッキー

夫婦で育てたクッキー画像

しかし自宅でクッキーを焼くにはオーブンがありません。園子は伊助に内緒で、米国に高価なオーブンを発注したのです。
大正6年春、米国からオーブンが届くと、園子は叱られるのを覚悟で伊助に打ち明けました。オーブンの値段は138円。当時の家族の1ヶ月の生活費をゆうに超える額でした。
しかし夫の返事はたった一言――。「割に安いねえ…!」 英語が得意な伊助は、クッキーに関する欧米の原書を手に入れては訳し、園子も教わったレシピを日本人好みに改良するべく試作を繰り返しました。原料の配合や生地の熟成期間、火加減を研究するため徹夜することも度々だったといいます。クッキー作りはいつしか夫婦二人の「共同研究」となっていきました。
そうして焼きあがったクッキーは、ロイド夫人に「もう教えることはない」と言わしめるほどの出来栄えだったそうです。このとき二人は、現在のスペシャル・クッキーズに入っている14種類を含めた約30種類のクッキーを、すでに完成させてしまったのです。

泉屋の誕生

泉屋の誕生画像

大正12年、泉家は和歌山を離れ京都に移り住みました。
京都でもクッキーを焼きつづけ、知人たちにおすそ分けするうちに、その味はまたたく間に評判となり、材料を持ってきて「焼いてください」と頼みに来る人が後を絶たなかったといいます。そのうち「売ってください」という人まで現れました。
あまりの反響の大きさに、昭和2年、夫妻は家の前に「泉屋」の看板を掲げることにしました。商売をするつもりはなく、実費だけをもらって代わりに焼いてあげるだけというものでした。
のちに、「泉屋」は「クッキーと言えば泉屋」「泉屋と言えばクッキー」とまで呼ばれ、歴史を刻みながら今も愛され続けています。

シンボルマークに受け継がれる思い

シンボルマークに受け継がれる思い画像

「このクッキー、浮輪に似ているね。」
あるとき、「リングターツ」を見た子供の何気ないひと言から、シンボルマークの浮輪は誕生しました。
昭和11年に夫、伊助を亡くし、母と子供たちだけで、これからの人生を乗り切らねばならないという苦難に直面することになった一家にとって、どんな荒波に遭っても沈むことのない「浮輪」は、まさに心強いシンボルだったことでしょう。
また「浮輪」は「人の和(輪)」をも表し、母である自分と3人の息子を表す4色の飾りをのせることで、どのような困難にあっても“人の輪”で乗り切って行こうという思いを表すものでもありました。
しかし「浮輪」に込められた思いはそれだけではありせん。
もともとクリスチャンだった園子は、クッキーを焼くことは社会奉仕のひとつだと考えていました。
「浮輪」が人命を救うように、クッキーを通して社会の役に立ちたい……園子のそんな理念がこの「浮輪」のマークには込められているのです。
園子が愛したこのリングターツは泉屋の象徴でもあり、また今も泉屋のいちばん人気であり続けています。

About Trademarkトレードマークの意義

トレードマーク画像

浮輪はどんな暴風雨にあっても沈まないように、
社員一同力をあわせて社会の荒波を乗り切りましょう。

浮輪は人の命を助けるように、
いつでも社会の役にたつ会社としましょう。

浮輪があれば安心のように、
ウキのマークの製品に変わらぬ信頼をもたれるように努めましょう。

浮輪は7つの海を渡るように、
世界の国々を円くつなぎ平和の役目を果たしましょう。

浮輪は社員の輪を表します。
みんなが手をつなぎあって楽しく働きましょう。

現在でも泉屋は、
先代の社会奉仕の精神を大切に守り続けています。

Photo Gallery写真館

  • 昭和2年
    京都店看板
    〔世相・主な出来事〕
    上野〜浅草間に日本初の地下鉄が
    開通(十銭)
    昭和2年 京都店看板 画像
  • 昭和12年
    赤坂店
    〔世相・主な出来事〕
    国会議事堂が竣工
    (もりそば十三銭)
    昭和12年 赤坂店 画像
  • 昭和20年
    配達に活躍したバイク
    〔世相・主な出来事〕
    太平洋戦争終戦
    昭和20年 配達に活躍したバイク 画像
  • 昭和23年
    西銀座店前泉英男前社長
    〔世相・主な出来事〕
    アメリカでトランジスタ発明される
    昭和23年 西銀座店前泉英男前社長 画像
  • 昭和27年
    会社設立同時の麹町本店
    〔世相・主な出来事〕
    第15回オリンピック
    ヘルシンキ大会に戦後初の参加
    (もりそば十七円)
    日本航空が初の国際路線免許を
    取得(東京〜サンフランシスコ・
    東京〜那覇)
    ビキニ環礁で第五福竜丸乗組員
    23人被爆
    昭和27年 会社設立同時の麹町本店 画像01 昭和27年 会社設立同時の麹町本店 画像02 昭和27年 会社設立同時の麹町本店 画像03
  • 昭和27年
    会社設立当時の
    スペシャルクッキーズ
    〔世相・主な出来事〕
    台風15号で青函連絡船「洞爺丸」
    が転覆沈没
    昭和27年 会社設立当時の スペシャルクッキーズ 画像01 昭和27年 会社設立同時の麹町本店 画像02
  • 昭和30年
    広告写真
    〔世相・主な出来事〕
    アルミの1円硬貨発行
    昭和30年 広告写真 画像
  • 昭和30年
    ウインドウディスプレイ
    〔世相・主な出来事〕
    ボストンマラソンで
    浜村秀雄優勝
    昭和30年 ウインドウディスプレイ 画像
  • 昭和31年
    横浜駅(現ジョイナス)に出店
    〔世相・主な出来事〕
    国産初の電子計算機完成
    昭和31年 横浜駅(現ジョイナス)に出店 画像
  • 昭和33年
    改装した麹町本店
    〔世相・主な出来事〕
    宮内庁が皇太子と正田美智子さん の婚約を発表
    フラフープが大流行(もりそば30円)
    昭和33年 改装した麹町本店 画像
  • 昭和37年
    日本映画俳優協会が
    サーカスに招待した養護施設
    のお子さん達にクッキーを
    提供
    〔世相・主な出来事〕
    ソニーがマイクロ型ポータブル
    テレビを発売(110×194×186mm
    65,000円)
    堀江建一ヨット「マーメイド号」で
    太平洋横断
    昭和37年 日本映画俳優協会がサーカスに招待した養護施設のお子さん達にクッキーを提供 画像01 昭和37年 日本映画俳優協会がサーカスに招待した養護施設のお子さん達にクッキーを提供 画像02 昭和37年 日本映画俳優協会がサーカスに招待した養護施設のお子さん達にクッキーを提供 画像03
  • 昭和38年
    川崎高津口に
    自社工場を新築完成
    〔世相・主な出来事〕
    新千円札(伊藤博文肖像)発行
    川崎高津口に自社工場を新築完成 画像
  • 昭和44年
    カクテルクッキー
    〔世相・主な出来事〕
    アポロ十一号月面着陸
    (もりそば八十円)
    昭和44年 カクテルクッキー 画像
  • 昭和52年
    紀宮清子内親王工場ご見学
    紀宮清子内親王(当時)が多摩 工場にお見えになり、ご見学なさいました。
  • 昭和59年
    全国菓子大博覧会に出品した
    クッキーのお城
    〔世相・主な出来事〕
    グリコ江崎社長が誘拐される
    「グリコ事件」
    (もりそば350円)
    昭和59年 全国菓子大博覧会に出品したクッキーのお城 画像
  • 平成13年
    現在の泉屋東京店麹町本店
    〔世相・主な出来事〕
    上野〜浅草間に日本初の地下鉄が
    開通(十銭)
    平成13年 現在の泉屋東京店麹町本店 画像

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